関悦史
地平線けふも跨がず五月の巨人 打田峨者ん
大きな空気感が捉えられた句。
地平線を跨がずにいる「五月の巨人」は実体を持った巨人というよりは、「五月」そのものの形象化ととるべきだろう。実体がいつまでもその辺に居るのでは鬱陶しいばかりとなり、「地平線」の見晴らしの良さにそぐわない。
同じ「五月」を通じて人間以上の何かと通じ合う句でも、《目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹》寺山修司のピンと張りつめた自恃のようなものと比べると、こちらは大分寛いでいる。
「跨げず」ではなく「跨がず」であり、ここには数日にわたって続く広大な初夏の自足がある。
句集『光速樹』(2014.2 書肆山田)所収。
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