樋口由紀子
ひとすぢの春は障子の破れから
三條東洋樹 (さんじょう・とよき) 1906~1983
春の訪れを感じるのはいろいろである。掲句を読んで、ああ確かにと一本やられた感をもった。障子が貼られている部屋は陽が当たる場所がほとんどだ。陽を遮るための障子、一部でも破れたら当然光はそこから入ってくる。それは発見であり、大きな出会いであった。
川柳は言葉の斡旋とか組み合せよりも実生活上の「見つけ」に重きをおくところがある。それは言葉を見つけたとは違う。「障子の破れ」を見つけた、目のつけ所を評価する。
障子の破れは原因も結果(見た目)もよくない。けれども、春の陽射しは意外とそんなところからでもまっすぐに射し込んでくる。それが人生なのだろう。と、人生観も少し含ませているところにも価値を認める。
三條東洋樹は昭和32年時の川柳同好会(現在の時の川柳社)から「時の川柳」を創刊した。〈子を抱いて我も凡夫の列に入る〉〈てっちりを囲んで右派も左派もなし〉『ひとすぢの春』(昭和53年刊)所収。
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