相子智恵
満開の花の近江の田螺かな
満開の花の近江の田螺転け 男波弘志
句集『瀉瓶』(2014.1 田工房)より。
琵琶湖の田螺であろうか。琵琶湖には長田螺(ナガタニシ)という固有種がいるそうである。満開の花の近江という大きな美しさ、めでたさから、一粒の黒い田螺へと、視点がぐっと寄っていく。この一句だけでも好きな句であるが、その隣に〈満開の花の近江の田螺転け〉と並べたのが、またいい。
「田螺長者」というお伽噺もあるが、昔から田螺は水神としての性格を持っていたようである。また貝類であるが胎生で、初夏には子貝を産むという。不思議な貝だ。
掲句、満開の花咲く近江でコケる田螺は滑稽でありながら、妙にめでたい。田螺は「田の主」が語源との説もあるが、満開の花に昔の人が込めたであろう豊作への願いと、田螺の水神的な性格が背後に感じられてきて、この句には不思議な言霊の力があるような気がするのである。それがめでたいのだ。大らかな俳味と、土着的なパワーのある句である。
『瀉瓶』という句集には、生き死にの根源的な寂しさと、それを滑稽にかえる力強さがある。ぜひ多くの人に読まれてほしい骨太な句集である。
〈春の野の刳味は母のゑぐみかな〉〈頃合の肉舐めまはる昼の蠅〉〈びつしりと死者が手を置く蜆桶〉〈誰からももらふ螢火そばから捨て〉〈一歩づつ土になりゆく踊りかな〉〈柿の木が言うたよその子盗らるるよ〉
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