2014年6月18日水曜日
●水曜日の一句〔筑紫磐井〕関悦史
関悦史
オクラホマの歴史はありやさほどなし 筑紫磐井
同じ作者の《来たことも見たこともなき宇都宮》と双璧を成す句であろう。
地名としては誰でも知っているし、それなりに人が暮らしてきた歴史的蓄積もあるはずなのだが、にもかかわらず、あまり連想は広がらず、明確なイメージが何も浮かばない土地を詠んだ句としての双璧である。
来たことも見たこともない、あるいは歴史がどれだけあるだろうかなどと、思いもかけないことを突如わざわざ問いかけられた上で、さほどないと否定され、虚仮にされることでかえって奇妙な、何やら茫漠とした、去年今年を貫く棒ででもあるかのような実在感だけを漂わせるにいたった「宇都宮」と「オクラホマ」。
大体なぜオクラホマの歴史などというものに思いをはせなければならないのかがさっぱり見当がつかず、単なる思いつきのような、それでいて禅問答でいう「父母未生以前の真面目」を不意につきつけられ、世界の実相とはかくのごときものかもしれないなどとうっかり納得させられてしまうような、ふざけと真面目の奇妙な重ねあわせのみが衝くことのできるリアルの手応えがあって、この辺がこの作者のひとつの持ち味なのであろう。
世界にはこうしたジャンクアート的視線ともトマソン的視線とも重なるようでおそらく外れている筑紫磐井的視線というものによってのみ掬える地名や出来事というものが確かにあり、それは普通意識に上るものではないので、筑紫磐井に詠み取られた分、世界は拡大され豊かになったともいえるのだが、それがあくまでも虚仮にすることによってである辺りが、かつてのサングラス姿の韜晦的な肖像写真を改めて思い起こさせる。
ところでオクラホマの歴史を検索してみると、ウィキペディアに「オクラホマ州の歴史」というのが立項されているくらいで、それなりに紆余曲折があるのだが、印象に残るのはインディアン、移住、黒人、入植、不作といった語彙であって、どうも日本でいえば「みちのく」や「蝦夷地」に相当するような土地柄らしい。
日本人の多くががオクラホマなる地名から最も容易に連想するのはオクラホマミキサーであろう。あのフォークダンスのペア交代の際のぬきさしにも似た「ありや~なし」なる長閑な言い方の背後には、遠い異国の悲惨な歴史が埋もれているのだが、しかしそこに満腔の同情を寄せたりは、この句は一向にしていない。共感とかその反対の悪意とかといったものの持つ直線性とはいささかずれた、薄情という情とちょっかいでもって虚子のいう「ボーっとしたもの」「ヌーっとしたもの」に触れるのがこの作者の句の特徴なのだろうと思えてくる。
句集『我が時代 ―二〇〇四~二〇一三―』(2014.3 実業公報社)所収。
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