関悦史
雲の味知つてゐさうにかたつむり 矢野景一
かたつむりと天の連想は阿部青鞋の《かたつむり踏まれしのちは天の如し》などときどき見かけないわけではないが、ここでは別にもうひとつ、雲に味があるという発想の飛躍がある。
かたつむりの軟体感が雲の不定形と響きあっている格好で、しかも「知つてゐる」という断定ではなく、「知つてゐさうに」とぼかされて繋ぎあわされていることから、かたつむりに本当に知っていると思うかねと問いかけられているような気もしてくる。正面切って擬人化することなく、それでいて、相手を奇妙な知性体に引き上げた存問となっているのだ。
まず目に留まるかたつむりのカラ、そこから伸びだす軟体、その延長としての雲、そして実在しない「雲の味」へと認識が伸びひろがることで、その辺の小動物がみるみる辺り全体をおぼろげな奇妙な生気に覆われた、仙界めいた世界へと変えていく。
雲の味に思い至ることのできる者には、かたつむりもそうした融和的世界の入口となるのである。
句集『游目』(2014.6 角川学芸出版)所収。
●
0 件のコメント:
コメントを投稿