相子智恵
長身の息子重宝墓洗ふ 竹村翠苑
句集『摘果』(2014.6 ふらんす堂)より。
盂蘭盆の祖先の墓参り。墓石は高さがあるので、長身の息子が墓を洗うのにうってつけなのだろう。現金な面白さのある句だが、生きていくということは、案外このようなあっけらかんとした日常が続くことであるのだ。それが死者を近くする墓参りの風景であることに感慨を覚える。
死は一回性の重みと悲しみを持つが、同時に人類の時間を俯瞰してみれば、先祖が増えていくリレーのようなものでもある。墓参りのような「儀礼」は特にそのことを思い出させる。
同じ季節には「生身魂」という季語もある。生者の側も同様に、自分がいて、息子がいる。生きているリレーもまた、こうして続いていくのである。
●
0 件のコメント:
コメントを投稿