相子智恵
ゆふぐれの顔は鹿にもありにけり 山根真矢
句集『折紙』(2014.6 角川学芸出版)より。
一読で好きになった句である。序文で鈴木しげを氏も触れているが、この句を読むと古今集の「奥山にもみぢ踏みわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき」を思い出す。
しかし正確に意味を掴もうとすると、するりと両手をすり抜けてゆく不思議な句だ。〈ゆふぐれの顔〉とは何か。夕暮れの沈みゆく太陽に照らされた顔だろうか。それとも夕暮れのような顔(寂しそうな顔?)だろうか。そのどちらでもあるのだろう。〈鹿にも〉の「にも」と比較されているものは何か。人間だろうか。これもすべてのものに当てはまる。
夕暮れの中の茶色い鹿の顔をアップで思い浮かべる。鹿の顔はきょとんとしているようでもあり、寂しげでもあって、こちらをじいっと見つめている。するとその目に映った私の顔も、よく見れば〈ゆふぐれの顔〉なのである。鹿の〈ゆふぐれの顔〉も、その他のすべても、薄暗い茶色に染まってゆく。
日は暮れる。秋は深まってゆく。
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