2014年10月8日水曜日

●水曜日の一句〔川口真理〕関悦史



関悦史








葱買うて木村拓哉のさみしき目  川口真理

作家や芸術家、過去の映画スターなどならばともかく、現役の人気タレントを詠み込んで、それが諧謔ではなく澄んだ「さみし」さにつながる句というのはあまりないのではないか。

葱を買った帰りに、たまたまその辺にあったポスターなどで「木村拓哉」の顔を見かけたとして、そのさみしさとは一体何なのか。

「葱」は、ここではまず買い込んだ食材全部をあらわす単なる提喩のように見えるが、「葱」と「さみし」さと言えば永田耕衣の《夢の世に葱を作りて寂しさよ》を思い起こさざるを得ない。この世と人生全体に対する或る考察が句の背後にひっそりと横たわっているのである。

そして二枚目の代名詞のような人気タレントと、倹しく葱など買っている自分との対照から「さみし」さが出てくるわけではない。「さみしき目」をしているのは「木村拓哉」の方なのだ。

「夢の世」全部を一気にとらえて「寂しさ」を自足そのものに変えてしまうような耕衣句とは違い、この句は「葱」や「目」のぬめりのイメージ、華やかなマスメディアの向こう側と買い物しているこちらとの差、「買う」という交換から「木村拓哉」や、引いては詠み手本人にまでひそかに及び来たってしまう交換可能性(諸行無常といってもよい)の認識、そうしたことどもの一瞬のすれ合いに感応し、ひんやりと整った磁器のようにまとめ上げているのである。

「買つて」ではなく「買うて」、「寂し」ではなく「さみし」という語の選択も、この世のいとなみを透視しているような硬質な目を持つ身心のみが捉えうる世界を滑らかに俳句化するために要請されたものなのだ。

句集『双眸』(2014.8 青磁社)所収。

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