2014年12月17日水曜日
●水曜日の一句〔武藤雅治〕関悦史
関悦史
飛んでゆく鞄のこゑの暗さかな 武藤雅治
一見何かの寓意がある句に見えるが、句は別の何ごとかを意味しているわけではおそらくない。まずは字義通りに読む以外にない。飛んでゆく鞄というものの存在を読者は受け入れなければならないし、その鞄があろうことか声を上げており、しかもその声が暗いというところまで、それがいかなる意味を持つ情景なのか一向に理解できないまま立ち会わなければならないのである。
単なるナンセンスではなく「意味」とか「寓意」がちらついてしまうのは「暗さ」の一語があるからだ。つまりこの鞄には感情がある。また「暗さ」の一語があるゆえに「飛んでいく」が自発的な行為ではなく、心ならずも吹き飛ばされているらしいという印象が生まれる。だがその印象も絶対的なものではなく、鞄は暗い声を上げながら自棄をおこして暴走するかのように、自発的に飛んでいるのかもしれない。
「こゑ」が本当に感情を表しているのかどうかも少々あやしい。虫の声と同じく、聴く側が情緒を付与してしまっているのかもしれないからだ。しかしこの新品とは思いにくい「暗さ」を帯びた鞄が、人に寄り添うようにして使われる中空状の道具であることを思えば、使ってきた人間の感情を多少は呑みこんでしまっているのかもしれず、そうなると鞄と視点人物との区別もあやふやになってくる。
「飛んでくる」のでも「飛んでいる」のでもなく「飛んでゆく」という、視点人物からの遠ざかりが明示されていることがここで注意を引くことになる。つまり鞄は視点人物の代理として暗い声を上げつつ飛んでゆくのだと取った方が良いのではないか。
しかし視点人物の無感動な報告ぶりは、鞄に「暗さ」を託して流し去ったカタルシスによるものとは感じられない。視点人物と鞄の持ち主が別人という可能性も考えられるが、いずれにせよ救いもなければ終わりもない、消尽された煉獄である。
そして煉獄が十全に表現されると、それは奇妙に愉しいものとなる。
なお作者は歌人であり、句作は故須藤徹との出会いによって始まったという。句集に収められた作品が俳句か川柳か、はたまたそれ以外の何かなのか、作者は特定していない。
句集『かみうさぎ』(2014.12 六花書林)所収。
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