2015年2月24日火曜日

〔ためしがき〕 世を捨てる 福田若之

〔ためしがき〕
世を捨てる

福田若之


贈与論という哲学の一分野がある。たとえば、デリダは、時間を与えるにしろ死を与えるにしろ、自分の持っていないものを与えることを問題にしている。「自分の持っていないものを与えること」というのは、ラカンによる愛の定義でもある。

このように、贈与についてはすでに多くが語られているのだが、その一方で、これに近いものとして、もっと考えられていいテーマがあるように思う。それは、放棄というテーマ、捨てることの問題である。

人は、自分のもっていないものを捨てることがある。たとえば、世を捨てる、というとき、しかしながら、この「世」はその当人の所有物ではないはずだ。すくなくとも、その当人だけのものではないだろう。

この「世を捨てる」には別の問いも立てられる――「どこに?」という問いだ。人はこの「世」の中でしか、また、この「世」の中にしか、何かを捨てることはできないのではないか。捨てるには、捨て場が、したがって、空間が必要である。

デリダは、死を与えるという行為についての思索を、旧約聖書のなかの、アブラハムがイサクに死を与え、また、そのイサクの死を神に与えようとする(そして、それを止められる)場面についての考察を通じて展開する。では、世を捨てるという行為の具体例として、ここでふさわしいテクストはいったい何だろうか。

直感的にだが、やはり、西行が最もふさわしいのではないかと思う。次の歌は、『西行法師家集』の第137歌で、 西行が出家する前に詠ったものだと伝えられている。

世を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけれ

西行は、世を捨てる人は本当に捨てるのだろうか、と問い、捨てない人こそが捨てるのだよ、と答えるのである。この、西行にとっての捨てることの困難は、デリダにとっての与えること の困難に似ている。デリダは、贈与は贈与として意識されてしまうかぎりで、真の贈与ではないと主張している。見返りの可能性がある贈与は、真の贈与ではな く、交換に過ぎない。その場合、贈与は贈与とともに押し付けられた負債によって帳消しにされてしまう。西行においても、捨てることは、捨てることと して意識されてしまう限りにおいて、真に捨てることではないのである。

この歌は、初出の『詞花集』では、〈身を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけれ〉のかたちで、詠み人知らずの歌として収録されている。身は自分のものであって、世は自分のものではないと捉えるなら、捨てることの困難は身と世とで異なるように思われるかもしれない。しかし、実際にはこの困難は同一のものだ。身もまた自分のものではない。僕らは身を持っているのではない。僕らは身を所有していない。僕らが身なのだ。こう考えれば、世を捨てることの困難も、身を捨てることの困難も、本質的にはそれが自分のものではないことに端を発している。

ハイデガーの世界‐内‐存在の概念に照らし合わせれば、 身を捨てることの困難と世を捨てることの困難が実はひとつのものであることが明らかになるだろう。世とは世界であって、身とは存在であると捉えることができるはずだ。そして、世界‐内‐存在という発想に基づくなら、それらは同時にしかありえない。それをそれとして生きるのが人間なのであって、世を捨て、すなわち身を捨てることは、人間をやめることである。だからこそ、「世捨て人」という言葉には人間をやめてしまった人というニュアンスが篭るのだろう。

ところで、『西行物語』には、この歌のさらなる異型がみられる。〈世を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人をぞ捨つるとはいふ〉というものだ。後の世になって書かれた物語文学である以上、歴史的な正当性は乏しいとされている『西行物語』であるが、こちらのほうが世を捨てることの困難をよりふさわしいやり方で示しているように思われる。捨てない人を「捨てる」とは言うものだ、という答えは、世を捨てることが可能であるということ自体をまだ認められないでいる。とりあえず、どう世に言うものかを答えるにとどめているのである。『西行物語』に載る異型は、したがって、それ自体、世に依存している。その限りで、世をまだ捨てることができないでいるのである。捨てない人こそが捨てるのだ、という言い方には、やはり破綻がある。捨てない人を「捨てる」とは言うものだ、と返すことそれ自体によって捨てられていないことを示しているこの異型のほうに、より洗練された答えがあることは確かだろう。そして、この歌の興味深い点は、それ自体が西行の歌のもとの形への応答になっているという事実である。だれが〈捨つるとはいふ〉のか。西行が言ったのであり、西行の後の世の人々がそう言うのである。そして、そのことによって、この異型は、もとの歌の西行が依然として世を捨てることができず、そこにありつづけていることを語りさえしている。

そして、この歌の西行が世を捨てられないでいるということは、この歌の成立について伝えられていることとも合致する。というのも、先に述べたように、この歌は西行が世を捨てる前に書いたものであって、この西行は、まだ世を捨ててはいない西行だったのだ。では、出家してからはどうなるだろう。続けて挙げるのは、『山家集』の第1415歌から第1417歌までの三首である。

ひときれは都を捨てて出づれどもめぐりてはなほ木曾の懸橋
捨てたれど隠れて住まぬ人になれば猶世にあるに似たる成けり
世中を捨てて捨てえぬ心地して都離れぬ我身成けり


ひところは都を捨てて出たのだが経巡ってやがてもどって来る木曽のかけ橋だと詠う西行、捨てたのだが隠れては住まない人になるのでまだ世にあるのと似ていると詠う西行、世の中を捨てて捨てることが出来ない心地がして都を離れない身であると詠う西行。これらの西行には、捨てることの困難がほとんど呪いのように付きまとっている。西行は、付きまとわれることによってこそ、捨てることの不可能を知るのである。なおも捨てたはずのもののうちにあり、なおも捨てたはずのものを離れることができない。「世」は、なおもそこにある。

それにしても、「捨てて捨て得ぬ心地して」というのは奇妙な言い回しだ。すでに「捨て」ているにもかかわらず、どうして「捨て得ぬ心地」などと言いうるのか。

だが、ここであえて、すでに捨てたからもはや捨てられない、と読むならどうだろう。世をもはや捨てられないことによって、世はいつまでも付きまとうのである。

そして、実はこのときにこそ、西行は本当に捨てたのではないだろうか。 もはや捨てられないという諦念を持つに至ること、これこそが捨てることなのではないだろうか。人はこの局面において、捨てることを、捨てる。諦念は獲得され、持たれる。だから、この場合、捨てることは一種の獲得なのであり、持っているものを減らすのではなく、増やすことなのである。

続く第1418歌では、西行はこう詠っている。

捨てし折の心をさらにあらためて見る世の人に別はてなん

捨てたときの心をいっそう新しくして、目にする世の人とすっかり別れてしまうつもりだという。こうして移り変わる西行の心が、続く第1419歌に表わされる。

思へ心人のあらばや世にも恥ぢむさりとてやはといさむばかりぞ

人がいたら世にも恥じるのだろうか。人がいるからといってそうではないのだ、と奮い立つばかりだという。 西行が向き合う相手は世から人へとすり替わり、問題は世を捨てることから世を恥じることへとすり替わっている。もはや世を捨てることなどどうでもよい。そして、この無関心に至ることこそが、他でもなく、世を捨てることなのかもしれない。


*上記の歌の引用は、一首を除いて、すべて『西行全歌集』(岩波書店、2013年)による。〈世を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人をぞ捨つるとはいふ〉のみ、桑原博史『西行物語 全訳注』(講談社学芸文庫、1981年、71頁)から引いた。ところで、この〈世を捨つる〉の一首は、『西行物語絵巻』徳川黎明会蔵本では〈世をすつる人はまことにすつるかはすてぬ人をぞすつるとはみる〉(『西行物語絵巻』、中央公論社、1979年、12-13頁)とされている。「いふ」と「みる」の違いは、言葉だけの物語と絵巻との形式の差異に対応したものだろうか。この異型においても、捨てない人を捨てると見るのは世のまなざしであるだろう。

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