樋口由紀子
今朝もまた新聞が来てゐる悲し
森井荷十 (もりい・かじゅう) 1885~1948
じんとくる。新聞が届いたから悲しいのではない。新聞が来るということは、今日も一日が始まるということである。眠っているうちにあの世にいくことなく、「今朝もまた」目覚めた。世の中にうまく対処できないで今日もおろおろと生きる。人はそのようにしてでも、それでも生きていかなくてはならない。それが「悲し」なのだろう。
「悲し」に愛しさと哀しさが凝縮されている。真摯に生きているからこそ「悲し」なのだろう。生きるとはなんだろうかと考えさせられ、自分自身が揺らぐような気分になった。荷十は川柳の詩派を標榜した作家たちと「矢車」を創刊し、川柳ポエジー化の先駆けとなった。〈罪の子の暮れて行く日に指を折り〉〈死ねば秋虫の鳴いてる旅の空〉
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