相子智恵
おなじ布団ぬけだし花の空がちかい 佐藤文香
句集『君に目があり見開かれ』(2014.11 港の人)より
日本人にとって桜の花ほど、一輪の開花から散るまでの「開花期間」に注目される花はない。他の花も咲いて散るのは同じなのに、桜の花を見るときだけ、私たちは花だけではなく、花に内蔵された「有限の時間」を見ようとする。
掲句、性愛の後の恋人同士が、同じ布団を抜け出して二人で桜を見にゆく。いや〈花の空がちかい〉の、ふいに〈花の空〉に出会った感じからいうと、わざわざ見に行った桜ではなく、情事の帰り道に咲いていた近所の桜だというふうに読める。あえて〈花の空〉といっているのだから、夜ではなく空の表情も見える日中の空、いわゆる「後朝の別れ」である。
桜の花が頭上に近く、その上の空ごと二人の上に覆いかぶさっている。〈花の空がちかい〉の〈ちかい〉で、二人だけの世界には花と空以外の何も見えなくなる。それは二人の濃密で幸せな時間の喜びと、喜び以上の不安を思わせる。その不安こそが「有限の時間」なのである。
〈おなじ〉〈ぬけだし〉〈ちかい〉この、漢字でも書ける言葉をあえて平仮名にしている幼なさが、心の退行による時間への抵抗のように感じる。また呆けたふりをして言葉から意味を引きはがし、至近距離の〈花の空〉以外の現実のあれこれの意味を考えないようにしているようにも感じてしまう。だからこそ読者である私は、抵抗し切れないその時間を逆に強く感じ、うっすらと悲しくなってしまうのである。
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1句は、さまざまな解釈を内包しているように思います。そこで、少々別解釈を。布団を抜け出したのは、二人ではなく一人なのではないか、という解釈です。わざわざ「おなじ」という措辞を用いていることで、相方はまだ布団の中、自分だけそこから抜けだし、相方の寝姿を見つつ、屋外へ。そこで、桜の空にであう、というものです。満たされた思いとともに、ある種の深い孤独感、なども1句にもたらされるのではないでしょうか。それにしても、面白い1句だと思います。
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