相子智恵
紫陽花や乗り継いでゆく父の家 小林すみれ
句集『星のなまへ』(2015.7 ふらんす堂)より
一読、何でもない句であるが、すぅっと染み込むような感慨がある。
実家でも父母の家でもなく〈父の家〉であるから、独居の父であるのだろう。一人暮らしの父の家へこれから様子を見に行くのである。〈乗り継いでゆく〉という行動と、その間に見られる身近な紫陽花からは、飛行機や新幹線で行くほどの距離を感じない。私鉄やJR、バスなどを数度乗り換えて行ける程度の中距離の、その乗り継ぎに見た植栽の紫陽花を思う。停車しかけた車窓から、あるいは駅前のバスロータリーで。
つまり同居を考えるほど会えない距離ではないが、頻繁に通えるほどでもない。その宙ぶらりんな、うっすらと寂しい距離感が〈乗り継いでゆく〉という言葉と紫陽花とに表れているのである。父は一人で不器用ながらも淡々と暮らしている。
紫陽花という花。静かな藍色でありながら、多数の小花が毬のように群がって咲く、この静けさとも賑やかさともつかない花。そして紫陽花であることで連想されてくる梅雨時のはっきりしない空模様。この親子の邂逅の、心の中にある静かな喜びと微妙な寂しさ。そんな心中を紫陽花は、ぼうっと照らし出している。
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