関悦史
暴力の直後の柿を喰いけり 曾根毅
「暴力」の勢いが、柿を喰う動作にまで流れ込んでいて「喰いけり」が荒々しい。
柿を喰らっている者は暴力を振るったのか、振るわれたのか、目撃しただけなのかは何とも決めがたい。というよりも、この「暴力」の一語は、そうした平板なリアリズム的地平で説明し得る位置にはおそらくない。「殴った」「撃った」「爆撃した」といった具体的な動作とは別の次元にあり、それら全てを含み込んだ類概念としての「暴力」である。単なる曖昧化ではない。
その類概念としての「暴力」が、続く「直後」の一語でいきなり具体・個別の世界に持ち込まれる。「ウサギ」や「シマウマ」や「ライオン」に混じって「動物」が一緒に飛び跳ねているような混乱を「直後」が強引につなぎ、「柿を喰」うという個人の動作の身体性に落とし込むのである。
この「暴力」は語り手個人が暮らす現実空間にではなく、むしろ「法」とか「言語」といったものの中に住んでいる。人が抗いようもない、絶対的な、旧約的なイメージすら連想させる「暴力」。そうしたものに接し、流出させる通路として柿喰う身体は存在する。「柿」はそうした類概念としての「暴力」の世界を日本の風土と生活に繋ぎ、また歯応えでもって身体感覚にも繋ぐ。
この句では、自己の統御が利かなくなって振るわれる「暴力」、その「暴力」に吹き抜けられた後の身体の、荒涼たる高揚が捉えられている。それがそのまま「暴力」と自己の関係の洞察になっている。
句集『花修』(2015.7 深夜叢書社)所収。
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