2015年9月15日火曜日

〔ためしがき〕 夜、魚群、形容詞 福田若之

〔ためしがき〕
夜、魚群、形容詞

福田若之

一方には、レイモンド・カーヴァー「夜になると鮭は……」。試みに自分で訳してみる:
夜になると 鮭たちが動き
だすんだ 川から町中へ。
奴らはいくつかの場所は避ける
フォスター冷凍食品とか、A&Wとか、スマイリーズみたいな名前の場所はな、
けど宅地の近くでは泳ぐ
ライト通りにある家々のさ そこでなら ときどき
朝早い時間帯に
あんたも聞くことができるよ 奴らがドアノブをなんとかしようとし
たり ケーブル・テレビの線にバンってぶつかったりしているのを。
俺たちは奴らのことを起きたまま待ってるんだ。
俺たちは裏窓を開けっ放しにして
バッシャーンって音を聞いたら叫びをあげる。
朝はがっかりだ。

At night the salmon move
out from the river and into town.
They avoid places with names
like Foster’s Freeze, A&W, Smiley’s,
but swim close to the tract
homes on Wright Avenue where sometimes
in the early morning hours
you can hear them trying doorknobs
or dumping against Cable TV lines.
We wait up for them.
We leave our back windows open
and call out when we hear a splash.
Mornings are a disappointment.
そして、他方には、『彼自身によるロラン・バルト』に見いだされる一節:「夜は、形容詞が再来するのだ、群れをなして」(RB, ŒC IV, 691〔メモ書きには、こうした略記もとくに断りなく用いられるだろう〕)。

おそらく歴史的な因果関係はない(前後関係:『彼自身によるロラン・バルト』は1975年、カーヴァーの詩はこの詩を表題作とした1976年のコレクションが初出。『彼自身によるロラン・バルト』の英訳が出るのは1977年)。加えて、バルトにとっての夜がおそれ、ないしは懸念の時間であるのに対して、カーヴァーにとっての夜は幻想と歓喜の時間である。

だが、魚群と語群の隠喩は魅力的。
cf.)スティーヴン・ホール『ロールシャッハの鮫』The Raw Shark Textsの、文字情報で形作られたホオジロザメやその他の魚。

バルトは1977年2月2日の講義ノートで、魚群を「あたかも、完全に滑らかな、にもかかわらず別個の個体たちからなる共生を実現するかのような、完璧だと思われる〈ともに‐生きること〉の光景」(CVE, 71)とみなしている。

2015/8/15

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