関悦史
葱坊主宙に泛べて猫の町 篠塚雅世
一見メルヘン的な絵柄の句とだが、ことさら現実離れした事態を詠んでいるわけではない。「葱坊主」ならば宙に浮いても見えるだろう。ただしそれが説得力を持つのは猫の目の高さから見たときの話で、人から見たら「宙に」とは捉えにくい。
「猫の町」は、人から見た「猫の多い町」とも取れるが、「猫にとっての町」や「猫たちこそが住民である町」とも取れる。この人の目と猫の目が形作る多重性のはざまで「葱坊主」ははじめて宙に浮くことができるのである。
中七も下五も危ういといえば危ういのだ。通俗的なポエム趣味に落ちかねない。しかし葱坊主は猫にとっては特に意味を持たない物件であろうし、この句の猫は「町」を形成しているとはいえ、童話の猫のように擬人化されているわけではない。猫たちは葱坊主とは基本的に無関係であり、たまたま同じ場にいるだけである。それを一枚の絵として捉えているのは、あくまでも人の目なのだ。
つまりこの句は、猫たちへの感情移入や擬人化が先に立っているわけではなく、仮想的に体験された猫の目をも含み込むことによって、猫の環世界と人の環世界とのずれを認識しており、そこから詩性と感興が引き出されているのである。
その間に浮く「葱坊主」は改めて奇妙な形態を際立たせることとなる。異化効果が働いているためだが、そうして洗い直された「葱坊主」が蝶番となり、猫と人の知覚、現実と空想をつかねることによって晩春の「猫の町」が現出したのである。
句集『猫の町』(2015.7 角川書店)所収。
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