関悦史
サイフォンの水まるく沸く花の昼 柏柳明子
俳句にできることのうちで重要なことの一つは、日常にひそむ幸福(それも感情的なものよりは感覚的なもの)の断片をすくいあげることなのではないかと改めて思わせる句で、「まるく沸く」という圧縮の仕方は、ちょっと気の利いた形容といっただけのものではない飛躍を一句に導き入れている。
「まるく」の完結性と求心性が「花の昼」を引きつけ、結晶させているのだ。単なるサイフォンが壺中天と化したかのようである。
コーヒーを淹れているのは屋内だが、「花」は屋外といった齟齬がさして目立たないのも、サイフォンの内と外、引いては屋内・屋外という包摂関係が、サイフォンの透明なまるさを通してひそかに多次元的に入り乱れているからだろう。
そのような眩惑が、単なる日用品の佇まいで身近にあり、人に見入らせ、「花の昼」を招きよせる。そしてその全てが素朴なリアリズムの枠内におさまる写生句の言葉に組織立てられている。幸福はその辺にあるということを、さりげなく体現している句といっていいのではないか。
句集『揮発』(2015.9 現代俳句協会)所収。
●
0 件のコメント:
コメントを投稿