相子智恵
伐つて無き樹を見上げたり冬の雲 小川軽舟
句日記『掌をかざす』(2015.9 ふらんす堂)より
切り株から目を上げ、自分の記憶の中にある、伐られる前の樹を見上げる。現実には、見上げた先にはぽっかりと冬の雲が浮かんでいるだけである。
“無い”と“有る”とが重なり合う、不思議な句である。喪失感や、冬らしい寒々しさ、寂しさもあるのだが、妙に安らかな気持ちにもさせられる。その安らかさは、今ここに“有る”〈冬の雲〉によってもたらされているような気がする。ここにないものを見上げた先に、雲という常ならざる、けれども今は確かにここにあるものと偶然出会って、心が慰められるような気がするのだ。
冬の雲は〈伐つて無き樹〉も、かつて確かにここにあったことを肯定する。そして何もかもが“常ならざるもの”であることも、伝えている。
12月28日(日)の句日記から。句と対になった日記には〈俳句はそこに何があったかを思い出させてくれる言葉なのだと思う〉と書かれている。
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