2015年11月6日金曜日

●金曜日の川柳〔加世田起南子〕樋口由紀子



樋口由紀子






この日閑(しず)か椿が雨を嚥んでいる

加世田起南子

「この日閑(しず)か」と捉えた表現力、「椿が雨を嚥んでいる」とみた描写力に目が止まった。おざなりの「静か」や「飲んでいる」とは違う、それでは言い表せない別のものが「閑か」「嚥んでいる」の表記が訴えかけてくる。椿は濡れるのではなく、自発的に雨を嚥み、ますます赤くなり、作者の心はより閑かになったのだろうか。言葉によって作者独自の景が浮かび上がる。そのように椿を見たら、世界や人の見方が変わってくるように思う。自分の生や内面、心の動きを見つめている。

私はこのように景を捉えることも見ることもできない。だから、掲句は自分と同じ気持ちであるという「わかる」ではない。かといって自分と同じ気持ちでないから「わからない」というのでもない。こういう感じ方があり、そう思う人がいる。ただ、自分はまだそこに立ち会っていない。〈赤鴉おまえに置き去りにされた落ち葉掃く〉〈しろいろがみずからつかれきっている〉 『翠雨』(1992年刊)所収。

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