相子智恵
影ひとつはみ出すホーム神無月 飯田冬眞
句集『時効』(2015.9 ふらんす堂)より
〈影ひとつ〉は何の影とは書かれていないのだが、私は「己の影」と読んだ。〈神無月〉が取り合わせられたことで、内観によって異界との境界を彷徨っているような感じがしたからである。
ホームの端に立っているのだろう。見るともなしに線路を見れば、ただ自分の影だけがホームをはみ出している。他の誰の影もホームをはみ出てはいない。影に託された己自身の、集団はもちろんのこと、この世からもはみ出てしまいそうな孤独な寂しさを感じる。いま、神はここにいない〈神無月〉であることも、どこか心細さにつながり、逆に神とともに旅立つ心の自由さ(それは孤独の裏返しである)も感じさせる。
〈影ひとつはみ出すホーム〉は写生であり、心の中のことは一言も言ってはいないし、あるいは自分の影ではないのかもしれない。ただ黒々とした影が一つだけはみ出していることに目をとめた心の孤独と、神無月という不思議な季語が相まって、モノトーンの鬱々とした世界ながら、裏側は自由に開かれている、不思議な解放感もあるのである。
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お初になります。相子智恵さま、コメントしますが拝読願いします。
返信削除神無月という季語は、神が居なくなるので、よってそれまで神の秩序のあった
動物や、霊のようなもの、それらが秩序から外れる。
そのような意味合いがあると、学んだ記憶があります。
ですから、私が神無月という季語でで句を創るときは決まって
荒れた動物などと二物衝突させます。
この句には、そのような意味合いはなく、己を中心に構成されています。
神無月という語は、神の無い月ですが、神がいないんだ、という認識は
日頃あまり意識していない神という存在を、つよく意識させます。
神はいないのに関わらず、です。
神無月という言葉は面白いです。
ここに己の内省と、神無月という季語と、接点を見まして、面白いと思いました。
私はこの句をこう読んだという文章でした。
勉強になります。ありがとうございました。
田中恭平
田中恭平様
返信削除「神がいないことで、日頃あまり意識していない
神という存在を、逆につよく意識させる」
本当にそうですね。神無月は面白い。
深くお読みいただいてありがとうございました。
相子智恵