樋口由紀子
レンコンの穴から極楽を覗く
佐々木ええ一 (ささき・ええいち)
極楽とはどんなところだろうか。阿弥陀仏の居所である浄土で、苦患のない安楽な場所や境遇だと言われている。しかし、死後の世界であり、この地救上のどこにもない。
なぜ「レンコンの穴から」? と一瞬は思うけれど、そんなに突飛なことでもない。レンコンはハスの地下茎であり、ハスは仏教とのかかわりは深い。また、お節料理にも欠かせない縁起物でもある。理詰めで読んでしまうとおもしろさは半減するが、辻褄は合う。
レンコンは池や沼地や水田などで栽培され、泥の中を地下へ地下へと根を伸ばしていく。極楽が見えるのはきれいなだけの清潔感のある万華鏡より泥をいっぱい潜った、滋養強壮力のあるレンコンの方かもしれない。
レンコンの穴を覗いている姿は滑稽である。わざとそんな行為、そうまでしても極楽を覗いてみたいといのも人の性だろう。〈青空が「かかって来い」と叱る〉〈肩の荷を降ろすと羽根が生えてくる〉 「川柳マガジン」(2015年11月号)収録。
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返信削除こんばんは。田中恭平です。
意見の分かれるところですが
阿弥陀如来は、すべてのものを救うまで亡くなりません。
極楽浄土は「死後」世界に設定されているものではない
というのが、一真宗者の意見です。
この発想は、今でも空海が生きておられる、という事実と通ずるものが
ありますが、阿弥陀如来は、未来仏でも過去仏でもなく
現在の仏にあたりますので(南無阿弥陀仏、の念仏で招致可)
人間レベルでは認識できずとも
極楽浄土は現世、存在しており、つまり
人間の認識力、感度を、強化するか、又は弱化するか
そのアイテムが「レンコン」にあたるのだと思われます。
追記です。
返信削除蓮根、蓮の華は確かに仏教に於ける仏の心を表象ですが
この表象を主題としモティーフに置くのは、日蓮宗ではないかと思われます。
大雑把に見てしまうと、日本の仏教は確かに聖徳太子に由来しますが
この句の「極楽」を、極楽浄土とする、つなり真宗の蓮根とするならば
生活間に於ける只のレンコン(だから、カタカナ表記)でないと不自然です。
レンコンには穴が空いている、その発想のみで充分な気がしますが。
由紀子さん、ご無沙汰しております。
返信削除偶然の事で、このブログに迷い込み(?)「川柳マガジン」の私の句を取り上げて頂いている事を目にしました。有難うございます、恐縮です。
「なんで、レンコンやねん?」という疑問もあるかとも思いながらの一句でしたが、由紀子さんがお読み下さったように、蓮の花は極楽と無縁ではないので、・・・と言う思いもあって、加えた一句でした。何はともあれ、ひとことお礼が言いたくてお邪魔しました。有難うございました。