関悦史
この葡萄プラトン以来のうすみどり 坪内稔典
眼前の葡萄のあざやかな色つやを言い表すレトリックに持ちだされるのが古代ギリシアの哲学者。「うすみどり」に何やらイデア論や古代ギリシア文明の影もさし、果実の鮮度はそのままにひどく典雅な物件に葡萄が化ける。
「プラトン以来」と言われれば、プラトンその人も同じように葡萄を味わったのかもしれない。古代ギリシアではすでにワイン醸造のための葡萄栽培は始まっていたらしいし、プラトンと食事となると、哲学談義に花を咲かせたシュンポシオン(饗宴)のイメージもちらついて、葡萄を通じて、古代の哲人と食事をともにしているような気分も一句に出てくるのだが、よく考えたらプラトンより葡萄の方が古いはずで、プラトンが葡萄の品種改良をしたのでもなければ、「以来」というのはウソで、本当は「以前」になるはずなのだ。
にもかかわらずここでプラトンが出てくるのは、プラトンに青葡萄のイデアは「うすみどり」なのだと喝破されて以来、葡萄はこの色に定まったのだというフィクションがこれで成立するからである。
ワインに変じる潜在性や、人類文化の同伴者といった顔もうかがわせることで、かえって物としての葡萄の清新さが際立ってくる。
句集『ヤツとオレ』(2015.11 角川書店)所収。
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