関悦史
透明な蝶が頭をゆく残暑かな 大山雅由
「透明な蝶」はさしあたり「残暑」をさす隠喩と取れる。
高屋窓秋の有名句のように「頭の中」と言われているわけではないので、素直に頭の上を飛んでいるととっていいはずだ。またその方が、上方にひろがる広大なものとしての「残暑」を句のなかに呼び込める。
ただしこの句の真価は「残暑」というものを、詩的にうまく形象化してみせたなどというところにはない。
字義通りに取ればあきらかに非実在の「透明な蝶」という姿を取った「残暑」、「透明な蝶」たる「残暑」という異次元的な自然を感知できるものとなった語り手の異様さが、この句にはひそんでいるのである。
季語や自然の、日常とは異なる姿に感応できる語り手とは、出し方次第では鼻持ちならない自己陶酔的なものになりかねない代物だろう。
しかしそうした自意識は「透明な」によって、無化はされないまでも、残暑の空に稀薄に拡散されてゆく。そのどこか不吉な感じがしないでもない解放感こそが、この句の魅力をなしているのである。
なお、作者の大山雅由はおととし(2013年)、60代で亡くなった。
句集『獏枕』(2015.10 角川書店)所収。
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