相子智恵
いくたびもまぶたの落ちる雪景色 中山奈々
『しばかぶれ 第一集』(2015.11 邑書林)「綿虫呼ぶ」より
雪が日常のすべてを覆い尽くし、一面真っ白な非日常の景色「雪景色」を作り出している。ただの雪ではなく「雪景色」という言葉の中には、雪が冬の日常としてある雪国の者ではなく、雪のほとんどない地域で暮らしている者による、雪の美しさをたたえる気持ちが内に込められているように思う。
そんな眩い雪景色の中で、何度もまぶたが落ちる。眠いのだ。夢の中でも、真っ白な雪景色が続いているのではないかと思わせる。目を閉じれば闇だけれども、その闇は黒くはなく、ぼおっと明るい「白い闇」でありそうに思える。雪の残像の残る浅い眠り。時間は一瞬止まったように思えるが、しかし目覚めるごとに、雪は少しずつ積もっていて、確かに時間は過ぎている。時間が伸び縮みするような不思議な感覚のある句だ。
それにしても、「雪」と「いくたびも」は相性がよいと思う。
〈いくたびも雪の深さを尋ねけり 正岡子規〉
〈雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし 飯田龍太〉
「いくたびも」が係る言葉は「雪の深さ」「文」「まぶた」とまったく異なり、三句ともまったく別の句であるのに、どれもしっくりきていて美しい。この相性の良さは、雪が音もなくいつの間にか積もっている速さと静けさに関係がありそうな気がする。〈雪はしづかにゆたかにはやし屍室 石田波郷〉という句もあった。真っ白な雪には、浦島太郎の玉手箱の白い煙のように、時間を超越する「何か」があるような気がする。
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