2016年1月6日水曜日

●水曜日の一句〔前北かおる〕関悦史


関悦史









千人の交響曲や文化の日  前北かおる


「千人の交響曲」は、マーラーの交響曲第8番のこと。作曲者が「大宇宙が響き始める様子を想像してください」と語った大規模な声楽つき交響曲で、演奏には実際千人前後の人員が必要となる。

歌詞はラテン語の賛歌とゲーテの『ファウスト』第二部を元にしており、ロマン派後期の作品らしく、形式的には崩れていて、楽章別に切れておらず「第一部」「第二部」しかないが(交響曲は四つの楽章から成るのが基本形)、全体としては統一感があり、壮大な盛り上がりを見せるという曲である。だいぶ前だが、何かのCMで使われていたこともあった(アニメファンには『涼宮ハルヒの憂鬱』の最終話で使われた曲といった方がわかりが早いかもしれない)。

その「千人の交響曲」が文化の日に演奏されているのであろうこの句は、しかし曲の精神的な内容に踏み込んだり、語り手の没入ぶりをうかがわせたりといったことは全然ない詠みぶりである。淡々としたものであり、文化の日に演奏されている文化的プロダクツであるにもかかわらず、大自然の景物と同じ扱いだ。同じ句集にたとえば《枝の下に水平線や大桜》や《ほのぼのと日輪赤き黄沙かな》といった句があるのだが、そのなかの「大桜」や「日輪」と変わらないのである。

大自然の景物だけではなく、人工物を詠んだ句でも、《冬帝を讃へ発電風車群》《ナイターのゆつくり落つるホームラン》《ガスタンクつるりと光る薄暑かな》といったものを見ると扱われ方はほとんど同じであり、ここには芸術作品に限らず、大きいものはそれだけで目出度いといった肯定の感情があることが感じられる。曲の内容や演奏への感想など述べなくとも、あるだけでよいという姿勢が、ほぼ名詞を並べるだけの俳句の作り方と合致しているのだ。他の句に見られる「讃へ」「ゆつくり」「つるりと」といった修飾は、この句においては「千人の」という曲名自体に含み込まれてしまっているのだろう。

音楽芸術への没入と感動を何とか形にしようとする句もときに見かけないわけではないのだが、「文化の日」という、祝日でありながら日常生活の側に振りきれた大味な季語の付け方は、そうした苦心の数々をあっさりなぎはらってしまう。“伝統俳句”的な様式ならではの大づかみさであり、その向こうに富士山か何かのように「千人の交響曲」が朗々と鳴り響く。

だからといって句中に語り手の身が入っていないというわけでは必ずしもない。「文化の日」にふさわしくホールの客席で(あるいはオーディオ装置を使って自室でかもしれないが)この大曲の威容に接する語り手のよろこびもまた、あっけらかんと句中に収まっているのである。


句集『虹の島』(2015.12 角川書店)所収。



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