樋口由紀子
純金の傷つき易さ詩にならず
鈴木九葉 (すずき・きゅうよう) 1907~1976
純金のような人という、比喩だろうか。純金であろうと銀でも銅でも錫でもアルミでもなんでも傷つくものである。(どんな人でも日々傷ついて生活している。)純金はまじりもののない黄金、まじりものがないだけに純金の傷は深いような気がする。だからそれが「傷つき易さ」だとしても「詩にならず」とはなんと辛辣であろうか。他のものなら詩になるというのだろうか。
とはいっても、私だって、純金の傷よりも木片の傷の方に心が揺さぶられる方だ。単純に胸に迫ってきて、感情移入しやすいからだ。純金に対する感情的な悪態のようでいて、知的な洞察のようである。
鈴木九葉は「ふあうすと川柳社」の椙元紋太亡き後の二代目主幹。〈キリストが眠る粗末な木のベッド〉〈バスが出てしまい炎天無一物〉〈海は静か援軍が来たりはしない〉〈冬苺一つ大きく 神からか〉〈遠き人遠き灯に似て またたける〉など独特の感じの川柳を数多く残した。
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