相子智恵
あたたかな橋の向うは咲く林 宮本佳世乃
同人誌「オルガン」5号「咲く林」(2016.05)より
〈あたたかな橋〉というと、主体は橋の上に立って欄干にでも手を置き、橋の温度をじかに感じているように思えるのだが、次に〈橋の向うは咲く林〉といわれると、主体は橋の上に立っているのではなく、橋のこちら側に立っていて、橋および橋の向う側の〈咲く林〉を見ているのだなと思える。すっと読める一句でありながら、主体の立ち位置にずれた印象が残り、おや、と思う。
そこで読者である私は、句の最初に立ち返り、今度は、橋を見ているだけで〈あたたかな橋〉だと感じてみることになる。するとたちまち〈あたたかな橋〉の周りに幸せな春の光が差してくるのである。ふわりとあたたかい春の光が。
〈咲く林〉は、普通なら「桃の花」だとか明確な植物を置きがちだが、ざっくりと詠むことで、いろんな花が咲いている雑木林を思わせる。また、「橋の向うの」ではなく「橋の向うは」としているので、橋のこちら側との区切りがより強調される。
あたたかな光に満ちた橋の向うは、諸々の美しい花が咲く林。こう読んでくると、〈あたたかな橋〉は天国への入口のような、あるいは彼の世と此の世を結ぶ、能の橋掛かりのような不思議さを帯びてくる。
光のことは句の中に一言も書かれてはいないのだが、全体に「あ」の音が多いところからも明るさを感じる。印象派の絵画のように、一句全体が光に包まれ、橋も花咲く林も、ぼわーんとすべてが眩く滲んでゆくようだ。なんだか呆けるような、幸せな一句である。
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