関悦史
美しき人とくしゃみをする約束 工藤惠
一種のデートの約束というべきか、「くしゃみ」が妙にエロティックなものに見える。「くしゃみ」が「美しき人」「約束」という言葉と組み合わせられているためである。
くしゃみの瞬間、取り澄ました顔は崩れさる。人によっては裸体と同等程度に見られたくないものかもしれない。少なくとも、人の肖像写真を公開する際に、くしゃみしている顔というのは使えない。
実際には人なかで不意にくしゃみをしてもどうということもないので、この句の奇妙さは、それをわざわざ約束して見せ合うという関係性にある。俳句においては、そうした作者が「手柄」と思っている部分が「手柄顔」のくさみにしかなっていないことも少なくなくて、この句も危ういところに近寄ってはいるのだが、「くしゃみをする約束」という、見るからに奇妙な部分もさほどには悪目立ちはしないで済んでいるのではないか。
これは「美しき人」と、軽く崩れたさまを見せ合うという、性交ともキスとも違う、ひめやかでありながらわざわざ隠すほどでもない、より重力の重みから解き放たれた交歓のイメージがメインになっているからで、さらには、その約束がまだ果たされてはおらず、期待の感覚とともに、「美しき人」と自分との特別な繋がりを形作るというものにまで「くしゃみ」が異化されているからだ。
約束はまだ果たされていない。逢瀬の期待感のみが一句を満たしている。情交的なものにまつわる重さや湿りをすりぬけ、天界的な身軽さをもった歓喜への期待を集約したものとしての「くしゃみ」が、この句には捉えられているのである。
句集『雲ぷかり』(2016.6 本阿弥書店)所収。
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