関悦史
菜の花や月は地球を遠ざかる マイマイ
句集に付された註によると、実際に月は現在も毎年3センチの速度で地球から遠ざかっているという。
天文学的な見地からの月の不思議といえば、高橋克彦の伝奇長篇『総門谷』の大量のペダントリーのなかにもそういった話が盛り込まれていたものだが、身近すぎて普段何とも思わない天体とはいえ、わからない点は随分とあるものらしい。
先行句となる蕪村の〈菜の花や月は東に日は西に〉は、菜の花と視点を中心にして、両端に入れ替わる月と日をすえ、ひとつの画面のなかに菜の花のミクロと日月運行のマクロを一つながりに取り込んだ句だが、この〈菜の花や月は地球を遠ざかる〉では、視点は真ん中ではなく一方の端、つまり地球の側にあり、そこから天文学的な張力を感じ取るようにして遠ざかっていく月が意識される。
蕪村に地動説の知識があったか否かは定かでないが、この先行句との関係は、ちょうど自分が中心である天動説から、自分も振り回される一部分に移った地動説への転回に対応していて、突如、読者までがその巨大な転回に投げ込まれ、菜の花や月とともに自分までが宇宙的立場を不意に自覚させられたかのような爽快感をもたらすのである。
この句単独で読めば、安定した大地から、遠ざかっていく月に想いをはせるスタティックな叙景句としか見えないので、「月は地球を遠ざかる」という単なる科学的知見を「菜の花や」で蕪村の句と関連付けた効、果は思いのほか大きいのだ。
句集『宇宙開闢以降』(2016.8 マルコボ.コム)所収。
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