関悦史
海百合のかひなの永し冬の戀 恩田侑布子
ウミユリは百合とはいっても植物ではなく、海底の棘皮動物である。なまじ植物じみた名前がついているだけにかえって海生動物のなまなましさが目立ち、グロテスクさが際立つ。
百合の花びらに相当するのが「かひな」で、腕に見立てられると、海中で揺られているさまが、何かを虚しくいつまでも求めている姿と見えてくる。「長し」ではなく「永し」なので、腕の物理的な長さではなく、時間的な永さだろう。
「冬の戀」は一見季語めいた字面だが、季語ではない(強いて季語をとろうとすれば「冬」だけとなる)。「冬の戀」自体が歌謡曲めいた抒情性が強くて、冬に始まった恋ととっても、あるいは一冬で終わる恋ととっても、海底に人知れず揺らぎ続ける「海百合のかひなの永し」が、丸ごと未練をあらわすただの暗喩になってしまう。もちろん解釈上そう読んでも特にさしつかえはない。
しかしウミユリのなまなましさはその意味的整合性に収まりきるには少々不穏で、現在も生息する生物とはいえ、カンブリア紀から地球上にいたらしいことを思えば、時間的永さも億年単位となる。通常の、人の未練のスケールではない。
ここでは「冬の戀」は、冬に始まった恋とか、一冬で終わる恋ととるよりも、「冬」を本質とする恋とか、「冬」そのものと成り果てる恋、あるいは冬というもの自体が持ってしまった恋情とかいうふうに拡大気味とった方がふさわしそうである。もとは人の恋情に発したものとはいえ、そのスケールを踏み越えた執着は、異形の「かひな」と成り果て、生きた化石として残り続ける。いわばこれは変身譚の句なのだ。
句集『夢洗ひ』(2016.8 角川書店)所収。
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