【週俳500号余韻余滴:私の自薦記事】
で、ティッシュはもらえたのか
柳本々々
『週刊俳句』の編集者である西原天気さんから500号記念企画の一端として自選/自薦記事をあげてほしいとメールをいただいて、わたしがふっと思いだしたのは、『週刊俳句』に初めて投稿した記事「NO TISSUE, NO LIFE」(2014年7月13日)である。
≫http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/07/no-tissue-no-life.html
丸山進さんの句、「生きてればティッシュを呉れる人がいる」について書いたものなのだが、わたしは敬意というか天気さんに対して畏れ多いという感情をもっていたので(これは天気さんにお会いしたときに直接申し上げたこともあった)、投稿してなんだか怒られるんじゃないかとどきどきしながら返事を待っていた記憶がある。
たぶんわたしは怒られると思っていたような気がする。そして、たいていの場合は、そう思っている。わたしは怒られる、と。
記事を投稿して、土曜日にひとと待ち合わせるため、日比谷のペニンシュラホテルのロビーで重たい布のようにぐったりして長い椅子に深く腰掛けていたのだが、明日載せます、という連絡をいただいて、すごく嬉しかった記憶がある。それはわたしにとってのひとつの「ティッシュ」だった。わたしは隣の見知らぬひとの肩を叩いて「明日、のるんですよ。怒られなかったですよ。明日のるんですよ」と言いたい気持ちになった。もちろんそんなことをしたら取り押さえられてしまうので言わなかったけれど。でも、「生きてればティッシュを呉れる人がいる」というのはあながち嘘ではないな、と思った。
次の日、記事が掲載されると、丸山進さんご自身がそのことを記事で取り上げてくださって、また、わたしは「生きてればティッシュが呉れる人がいる」という句そのものを生きることになった。なんだろう、わたしは、この句の感想を書いたのだが、〈書く〉というよりも、その感想自身を〈生きている〉ような気持ちになった。また、ティッシュを、もらったのだ。
あとからあとから、ティッシュは、どんどん、やってくる。しかも、「呉れる」というそのときその場限りの〈たった一回〉のかたちをともなって。
「生きてれば」という「てれば」の性急で不器用な感じはわたしの生に似ていると思った。「生きていれば」ではない。「生きてれば」であって、そこには十全な生はない。なにかが、決定的な、致命的なかたちで、欠けている。でも、「生きてれば」ティッシュを呉れるひとがあらわれる。そしてさらに「生き」続け「てれば」わたしもいつか誰かにティッシュをあげられる人間になれるかもしれない。生きてればこそ。
わたしはそれから頻繁に『週刊俳句』に投稿をはじめた。投稿するたびに、今度こそは天気さんから怒られるかもしれないなと思ったが、天気さんは怒らなかった。今も「あとがきの冒険」は畏れ多い気持ちで提出している。おまえは「冒険」と大胆に名乗りながらもいったいなにを、と思われるかもしれないが、それは本当である。
そのうちにSさんがBさんにわたしを紹介してくださって、私は外山一機さんの後に時評を書かせていただくことになった。それはわたしが『週刊俳句』でおそれ多さを感じながらも毎回投稿させていただいたおかげである。『週刊俳句』という媒体そのものにわたしは感謝し、いまも畏れ多さを感じている。《わたしはそもそも500号続けることを続けてきた〈生きてれば〉の実践としての『週刊俳句』そのものに畏れ多さを感じていたのかもしれない》。
わたしは小心者の冒険家だと、おもう。でも小心者の冒険家でも「生きてればティッシュを呉れる人がいる」。
で、ティッシュはもらえたのか。
はい。
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