2017年1月25日水曜日

●水曜日の一句〔駒木根淳子〕関悦史


関悦史









永久に二時四十六分大霞  駒木根淳子


「二時四十六分」は東日本大震災の発生時刻をさす。

あの日、3月11日が来るたびに思い返すという句ではない。「永久に二時四十六分」とは、その時刻に以後ずっと釘づけにされ、過去になっていないということである。

もちろん生きて生活していれば時間は経つ。2011年3月11日午後2時46分は、時々刻々過去のものとなる。にもかかわらず、震災は記憶の彼方に薄れていくことはない。現在と、過去のその時が、ずっと並行して胸にささりつづけているのである。

この風化しない忌まわしい記憶は、ほぼそのままPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。傷は何度でもフラッシュバックを起こし、つねに現在として立ち現れなおすのだ。両親をナチの強制収容所で失い、自身も収容されて終戦後の70年に自殺した、パウル・ツェランの詩における時間意識からもさほど遠くはない。

遠いとすれば「大霞」であろう。大霞がこの傷ましい時間意識を、「永久に」のフレーズと相俟って、空間に変容させてしまう。それは湿潤な日本の風土になかば胡麻化されることを受け入れつつ、傷を曖昧化していく過程である。

しかしこのショックを和らげる、日本の風土そのものを肉体化したかのような「大霞」は、そのまま、永久に別時空としてショックを保存する装置ともなっているようだ。その片付かなさを風土そのもののようにして抱え、眺め、共存していくしかないというのが、この句なのである。ひとごとのように眺めて歎じているわけではない。抱え込み、内部に違和として持ち続けざるを得ない内的体験としての大震災が、象徴性と生々しい身体性の両方にまたがる「大霞」でもって句に定着されているのである。忘却力にばかり富んだ湿潤な地震列島の宿命のような「大霞」である。

なお作者は福島県いわき市の実家を震災で失っている。


句集『夜の森』(2016.11 角川書店)所収。

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