相子智恵
晴れやみごとな狐にふれてきし祝日 田島健一
句集『ただならぬぽ』(2017.01 ふらんす堂)より
数年前に、この句の初出の瞬間(大きな句会だった)に立ち会えた時の感動はいまだに覚えていて、それは晴れた祝日のことだった。
晴れている、祝日であるということは詠めても、こんな俳句にはなかなか出会えるものではない。以来、祝日になると思い出す愛唱句となった。
〈西日暮里から稲妻見えている健康〉〈ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ〉〈白鳥定食いつまでも聲かがやくよ〉など、句中の「健康」や「ぽ」や「定食」など、それがあるから難解であり面白くもある言葉の意外性は、説明を拒みつつ強烈な印象を残す。
どこからその言葉は流れ着いたのか…という言葉同士が不思議な一句になるので、作者の実験工房の裏側を見たような気がして、冒頭の日のことが印象に残っているのだ。もちろんその日の現実という裏側を見たからといって、句の謎はさらに深まるばかりで、何にも分からない。なんとも美しく、晴れがましく、いかがわしく、楽しい、謎に満ちた句なのである。
日本の祝日というもの自体のわからなさ(由来と名前の乖離など)もあって、その分からなさが狐につままれたような気分と合う。しかし〈みごとな狐にふれてきし〉は逆に、狐を積極的につまみにいくような、自ら化かされにいくような感じであるのが面白い。快晴の日の光に反射して銀色に輝く狐の毛並みの美しさと、「ハレとケ」のハレの気分。ここに書かれた言葉のすべてが、美形の詐欺師の見事な嘘であるかのように、まばゆく輝いている。
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