2017年3月22日水曜日

●水曜日の一句〔堀田季何〕関悦史


関悦史









階段の裏側のぼる夢はじめ  堀田季何


夢にあらわれる建築はいま現在住んでいるところよりも、幼時になじんだところのほうが多いらしい。場所の記憶も、自己そのものの一部ということか。

なかでも階段は途中性と幻惑感の強い場だが、この句ではそのさらに「裏側」をのぼっている。遠近法を欠いた夢のなかの空間ならではの魅惑を引きだす混沌ぶりといえる(それにしても「のぼる」とはこの場合、通常な上下軸からみて上にあたるのか、下にあたるのか)。

「夢はじめ」は初夢のことだが、句中に置いたときの効果が「初夢」とはまるでちがう。「初夢」では動きが止まり、ほとんど報告句と化してしまうのである。「夢はじめ」という始動をあらわす単語なればこその湧出感や流動性のようなものがこの句にはある。そしてそのゆるやかな動きは夢のなかにはとどまらない。新年に発し、そのまま現実の一年をも規定してしまうのだ。

階段の裏側をのぼりはじめてしまう新年とは、このとき、夢と現実の関係自体が入り乱れはじめる新年にほかならない。「階段の裏側」という場は夢と現実とが融通無碍に入れ替わる事態そのものである。そこを「のぼる」とは、記憶、無意識、自己の暗部を撹拌し、汲みあげつつの詩的昇華がこれから果たされるということにもつながってゆくのだろう。性的放縦の気配もひそんでいる。


「GANYMEDE」vol.69(2017年4月)掲載。

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