2017年7月24日月曜日

●月曜日の一句〔家藤正人〕相子智恵



相子智恵






みんなあの虹を見てゐる僕でなく  家藤正人

「僕でなく」(「俳句」2017.8月号 角川文化振興財団)より

「僕」に注目が集まる時など、普通に生きていればそれほどあるものではない。せいぜい会議等で発言・発表する時くらいのものだろう。(芸能人や教師など見られる職業なら別だが)。

それでも、それよりもきっと虹の出る回数の方が少ないわけである。めずらしさやありがたみ、美しさにおいて虹にかなう「僕」などなかなかいないだろう。

窓から虹が見えているのか、それとも外にいるのか、みんなと僕の関係などは分からないながら、それでも「あ、虹だ」と誰かが言えば、皆そちらに一斉に注目して、消えるまでのわずかな時間を美しさに見惚れている、その時間の止まり方はよく分かる。たとえそれが「僕」の発言中であったとしても。

一読、自意識過剰な句に見えながら、読後にふっと寂しくも明るい笑いが漏れてしまうのは、「みんな虹を見ている。それは僕ではないけれど、そりゃあ、そうだよなあ」というようなメタ認知の気配が句から感じ取れるからで、そこに明るさがある。その気配がどこから来るかといえば、下五にオチのように置かれた〈僕でなく〉の、この語の位置にあると思うのである。もし、この〈僕でなく〉が上五であったなら、どうにも息苦しい句になっていただろう。

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