2017年12月22日金曜日

●金曜日の川柳〔森雄岳〕樋口由紀子



樋口由紀子






虐待された列に煮崩れたジャガイモ

森雄岳 (もり・ゆうがく)

もうすぐ一年が終わる。だんだんと生きにくい、怖い世の中になってきた。掲句もどきっとして、どうしようもないやりきれなさを感じた。「虐待」は今もどこかで行われている。そんな現実を直視している。

「煮崩れたジャガイモ」は箸でつかめない。あとかたもなく、元に戻れない。「煮崩れたジャガイモ」が目に浮かび、不安の正体のようでやるせなくなる。「列に」の「に」を省いて中七にすることも可能だが、あえて「に」をつけることによって、強く視点を押えている。言葉を洗練さす方に向かうのではなく、実在感を出し、現実をひとつの根拠にしている。どのような目で社会を見ているのか。川柳が忘れかけていたものがある。「川柳杜人創刊70周年記念句会・山河舞句追悼句会」収録。

1 件のコメント:

  1. ジャガイモの新川柳には現代短歌と煮通った味もするが、古狂歌の芋を食う場面もある。いずれの体験、つまり記憶あるが、「月前酔人」が題の 1790 以前の上方の栗圃の狂歌が描く方が強烈でしょう。

    <b>月影も芋の名にあう今宵とて箸にさす程酔にけらしな

    This evening, we eat below the moon that is named Potato
    and here I am drunk, stabbing one with a chopstick, whoa!

    つまり崩れると突き刺すの違い。しかも、芋の毛とねばねばした。。。感覚の思いでも、その時の酔い感覚もすべて蘇らせる。 敬愚

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