2018年2月11日日曜日

〔週末俳句〕ほら、好きなものリストとか 西原天気

〔週末俳句〕
ほら、好きなものリストとか

西原天気


パソコンで俳句を作らない、つまり手で書く。こう決めているのは、タイピングだと「作業」みたいだから。それと、字を書くのが嫌いではないから。

書くという動作・行為は、そぞろ感があって、いいじゃないですか。もちろん集中はするのですが、それと同時に、蛇行や道草がある。まっしぐらに書くことは、そんなにない。




これはカート・コバーン(1967 - 1994)がリストを書いているところ。集中とそぞろ感の両方が伝わってくる。この写真、ほんとうに良い、というか、深く愛してしまう。

で、この写真を見て、思いついたのですが、「好きなもの」リストみたいな調子で、俳句がつくれると、きっと愉しいにちがいない(むりやり俳句へと話題を戻す)。



俳句を読むのは、音楽を聞くのと似ています。といっても、みなさんが想像するタイプの相似と、私がこれから言うのとは、きっと違います。

つまりですね、曲をアルバムで聴く。これは句集で句を読む感じ。

そうじゃない曲の聴き方もある。ラジオから流れてきたり、なにかのコンピレーションアルバムだったり、iPodのランダム再生だったり。俳句も、句集から切り離されて、単独に、あるいはアンソロジーで。

どちらも楽しめます。どっちかじゃなきゃダメということはない。

なので、そのへんにあったレジュメから、

 日月や走鳥類の淋しさに  三橋敏雄

という句が目に飛び込んできたりもするわけです。



日曜日0時更新の『週刊俳句』、個人的にはいつもなんらかに積み残しが出ます。きょうの号には、句集レビュー2本(うち1本は転載)を寄稿しましたが、ほかにも間に合わせたかったものがいくつかあります。頭の中で何割か出来上がっていた西村麒麟『鴨』レビューほか。

ちなみに、散文は手で書きません。最初からタイピングです。ただ、句の抜き書きは手なので、手とパソコン、どちらも使うのが句集レビューです。



みなさま、すこやかにお過ごしください。



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