2018年3月8日木曜日

●木曜日の談林〔井原西鶴〕浅沼璞



浅沼璞








しれぬ世や釈迦の死跡にかねがある 西鶴

『白根草』(延宝8年・1680)

聖なる神仏と俗なる金銭とのリンク。
前書が何種類か残ってるが、一句として鑑賞しよう。

上五の「や」は文語の切字というより、大坂弁の詠嘆に近いだろう。典型的な初期俳諧の口語調だ。

〈想定外の浮世や。無欲を説いたお釈迦様かて、死に跡にヘソクリ残しとる〉

意外なことの喩えとして、釈迦の私金(わたくしがね)という諺が当時あった。諺の引用はブームだった。

(下五は近松の浄瑠璃っぽく「ね」「る」をやや高音で)

ところで一茶なら「涅槃図に賽銭箱」と解する(解した?)だろうか。自分でもこんな風に詠んでる。

  ねはん像銭見ておはす顔も有  一茶「七番日記」
  御仏や寝てござつても花と銭   仝「八番日記」

一茶の文化句帖には浮世草子に関したメモも残ってる。ある面、一茶は遅れてきた談林派だった。たぶん。

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