空き罐とSNSその他
西原天気
SNSに関するこの把握。
ツイッターには愚痴るか眠い人か具合悪い人しか居なくて— 山田孝之 (@yamadatakauki_) 2018年4月28日
FBだと結婚した人と子どもが生まれた人とサプライズされた人しか居なくて
インスタだとオシャピクした人と夕焼けの写真撮った人とクリームがめっちゃのったすごい飲み物を飲みながら、得体の知れない色のスイーツ食べてる人しか居ない
俳句世間にも、共通部分がある。年齢層が上がるぶん、結婚や子どもや「クリームがめっちゃのったすごい飲み物」が少なくなる/なくなるかんじでしょうか。
ところで、俳人クラスターのツイッターを見ていて、かねてより思うこと、いくつか。
1 やたら締切に追われている。俳人全員が文筆業か?と思うくらいに。
2 突然、根本的な俳論が始まったりするが、かなりの割合でスルーされる。
3 レイバンのサングラスの広告が定期的に出現。
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『鷹』2018年5月号をめくる。南十二国「俳句時評:詩人の仕事』は、『俳句』2018年2月号の高野素十特集をよくまとめて、そのうえで持論を展開。興味深い。
俳句作品から受ける印象が、必ずしも作家の人物像に一致するものでないことは大方の知るところであろう。(…)俗世間に生きる俗人としての自分が、その世俗的な気分のままで俳句を詠むのではない(…)詩人が詩人の仕事に取りかかるとき、そこには必ず俗気にまみれた日常の「我」から精気ただよう非日常の「われ」へと飛躍するための人格変換が行われるのである。これに首肯する人としない人、両方がいるでしょうが、いずれにせよ、社会的人格と俳人としての人格は別のような気がします。さらには、ネット人格も別。
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きれいなブリキ罐は、何かに使いたくて取っておくでのですが、でも、使い途がなくて、やがて廃棄。
BLOSSOM TEMPTATION(!)。ここにかつて入っていた何物かが、空っぽになって以降も永遠に魅了してくれるなら、使い途がなくても取っておきたい。
ちょっとロマンチックなことを言ってみました。
黄金週間の始まりですね。みなさま、健やかにお過ごしください。
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