浅沼璞
しちくさの著莪の前置ながし哉 西鶴
今年は早く桜が咲きましたが、それに歩調をあわせるかのように他の草花も早く、シャガの花もその例に漏れませんでした。雨上がり、市ヶ谷の外堀で、少し風のつよい江古田駅付近で、はたまた疲れきった所沢の路傍で、胡蝶花とも呼ばれるその姿にしばしば癒されました。
さて掲句をめぐっては、浮世草子の『西鶴織留』(巻五ノ三)に次のような逸話が残されています。
〈貧しい家に限らず、生活に困った時に必要なのは質に置く品物である。その昔、立花の家元から、生け花の「前置」につかう著莪を質種に、金子百両(約1200万円)を借りられたことがあった。〉(筆者・現代語訳)「立花の家元」とは、池坊のような華道の家柄のことです。その池坊によって、真・副・正真・請・前置(まえおき)・流枝(ながし)・見越の七つの役枝で構成する立花が成立――これを「七つ道具」と呼ぶそうです。また「七」は「しち」と読めるので「七つ道具」は質種の異称でもあるとの由。そこからの連想でしょう、低く前にさす「前置」の著莪を質種にしたという滑稽話なのです。
(とはいえ、当時の池坊では著莪の「前置」をじっさいに使わなかったそうで……)
前置が長くなってしまいましたが(シャレかよ)、掲句はその「前置」としての著莪が質流れしてしまったというのです。「ながし」には「流枝」はもちろん「長し」の意もかけてあるでしょう。呵々。
(『西鶴織留』は元禄7年・1693年の刊行ですが、西鶴門弟によって編集された遺稿集のため、原文の執筆年は不明です。)
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