トゥピ=カワイブの伝統を遵守しつつ靴を磨いてみること
西原天気
記事内容と無関係なタイトルを付けるのが、このシリーズの習わしなので、今回もそうしています。あしからず。
■丸田洋渡:童話的な俳句について
https://note.mu/jellyfish1118/n/nc701474d9e64
金原まさ子と阿部完市の俳句を「童話」の視点で論じ、示唆深い。
前者については例えば、《ときどき叫びつくしんぼ摘む女》《うつむいて海鼠をわらう女かな》(金原まさ子)を「これを童話で──たとえば、ヘンゼルとグレーテルで二人が向かうお菓子の家の魔女のような女性が、ときどき叫んでつくしを取っていたり、うつむいて海鼠をわらっていたらどうだろう。ぴたっと映像がまとまるのではないだろうか。」といった具合。
なるほど、金原まさ子の俳句には、悪女、聖母、魔女(的)など、女性の虚構上のバリエーションが登場するが、そこに「幼女」を加えると、金原まさ子俳句の輪郭がいっそうはっきりする。
阿部完市については、「(…)童話の世界を描いているというよりは、童話の世界を一時的に措定し、それに関わる存在として、今ここを描いている(…)」とする。
フォークロア的な題材や感触への指摘はこれまで少なくないと思うが、「童話」という異界への通路が一瞬ひらくと捉えれば、阿部完市の俳句のもつ、いわば「常世的な透明感」や独特のなまめかしさの由縁に触れたような気がしてくる。
■「「ことばのこてん」というアトラクション」問題反応まとめ
https://togetter.com/li/1258779
ツイートを追っていくと、問題視しているなかにも、引用と転載の区別がついいていない人も多い。この手の問題の根の深さ。
このイベントは作者名を明記していない様子で、それならば無断転載よりも剽窃に近づく。「展示」であることを示していても、作者名ナシの短歌や俳句は、本来の作者とは別の作者(この場合は企画者)との誤解を与えやすい。
一方、引用の要件を満たす合法クリアという点で、俳句作品は微妙な問題を抱えるが、多くは、慣習を重んじて処理される模様。例えば、歳時記の例句掲載は無許可でOK、入門書なのどの例句は(著作権のまだ切れていない)作者に掲載許可をもらう、といった具合。
ちなみに、このウラハイの、モチーフ別に数句を並べる記事(≫例)なども、法律上はアウトだろう。
■穂村弘×枡野浩一対談
https://wezz-y.com/archives/57044
ことばvs現実という根源的なテーマが、プライベートなエピソード豊富に語られる。記事末尾の〈次ページへ〉〈次回へ〉をたどっていくと全6回。短歌界隈の出来事に疎くても、飽きずに楽しめるのは、両氏の(対照的な)語り口のおもしろさ?
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