浅沼璞
いろはにほへの字なりなるすゝき哉 宗因
「真跡」(万治2年・1659)
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これは西鶴の師匠である西山宗因の発句。いわば談林・揺籃期の作だ。
いろは歌を「への字」につなげながら、強風になびく薄の描写へといたる。
「への字なり」とは、漢数字の「一」をヘタに書くと「へ」の字にみえることから、「物事をどうにかこうにかする」という意味のことわざ(世話)である。
談林では本歌取りや謡曲取りに同じく世話取りというサンプリング技法が多用された。
強風にもてあそばれながらも、どうにかこうにか耐える薄の、その「なり」を滑稽かつ写実的に詠んだ世話取りと解すのが妥当だ。
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ところで『好色一代男』には吉野太夫による筆おろしのシーンがあるが、そこで西鶴は師匠のこの世話取りをパクり、「物事をどうにかこうにかする」という意味はそのままに、半立ちの一物を「へ」の字の表記で活写した。
「への字なりに、埒明(らちあけ)させて」というのが原文の表記だが、吉行淳之介訳『好色一代男』(中央公論社)の訳者覚書をひもとくと、「文章表現の圧巻」と高い評価を得ている。
「への字なり」を「どうやら」とか「なかば萎えたまま」などと換言しては味がなくなると吉行は指摘する。
そういえば吉井勇(創元社版「西鶴好色全集」)や里見弴(河出書房新社版「西鶴名作集」)の訳文も、ほぼ原文のままだ。
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かつて国文学者の廣末保は浮世草子の両義性について、〈活写することと、作意の妙を見せること〉が一つであると言いあてた(『西鶴の小説』平凡社)。
その両面的価値のルーツが談林俳諧にあったことは、掲句をみれば明らかだろう。
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