樋口由紀子
ああ父のタオル掛けにはタオルがない
楢崎進弘 (ならざき・のぶひろ) 1942~
手や顔を洗って、タオルで拭こうとするときにタオルが見当たらない。「父の」だから、他の家族、たとえば妻や娘のタオルはタオル掛けにちゃんとあって、自分のだけがない。妻や娘のタオルは使わずに、濡れた手や顔のまま、滴をぽとぽとと落しながら、タオルを取りに行かなければならないのは悲惨である。たしかに「ああ」と言いたくなる。
タオルがないぐらいでおおげさで、しょうもないことにこだわっているのが、どうも見捨てられない。「ああ父の」の上五の言葉がうまく演技していて、タオルがない一瞬を鮮やかに拾い上げ、ライブ感が引き出しているからだろう。自己戯画化し、事実と感情を上手に残した。〈イカ焼きの烏賊にも見放されてしまう〉〈蛇はこんなに長い生き物だったのか〉〈竹輪の穴だったら通り抜けられます〉 「ふらすこてん」(57号 2018年刊)収録。
0 件のコメント:
コメントを投稿