浅沼璞
ひがしへ向ては風を待らん 西鶴(前句)
さいあひのたねがこぼるゝ女ごの嶋 同(付句)
『俳諧独吟一日千句』第五(延宝三年・1675)
『好色一代男』(1682年)最終章で世之介が遊び仲間と女護(にょご)の島へ出帆するのは有名な話である。
松田修氏は新潮日本古典集成『一代男』頭注で掲出の付合をあげ、〈説話上の女護の島の女たちは、南東からの風を待って孕むという〉と記している。
中央公論社版「定本西鶴全集」第十巻(野間光辰氏『獨吟一日千句』頭註)にも〈南風に妊みて子を生むといふ〉とある。つまりは説話の世界による付合なのだ。
で、浅沼良次氏の『女護が島考』(未来社)を繙いてみると次のようにあった。
風を体内に迎え入れると身ごもる、という「風はらみ」の伝説が、琉球列島、紀伊半島、八丈島、北海道の太平洋岸に散らばっている。ここでは〈南風〉、西鶴の付句は〈ひがし〉、松田修氏は〈南東からの風〉と定まらない。
昔、八丈島は女護が島といわれ、男が島に住むと神のたたりがあると信じられていた。そこで、子の欲しい女たちは南風が浜に吹きつける日、海辺へ出て帯をとき、暖かい風を胸と腹に受けて、身ごもった。
南風なら夏、東風なら春だが、掲出の付合の直前は〈日傘〉〈洗ひ髪〉と夏の句が続いていた。
西鶴は夏のイメージで南東の風を〈ひがし〉としたのだろうか。いや、南風を東向きに待つイメージだろうか。
どっちにしろ〈子の欲しい女たち〉からすれば〈さいあひのたねがこぼるゝ風を待ち〉という「風待ちロマン」には違いないのだろう。
もっともこの「風はらみ」の伝説には「迎え草履」というネタバレがあるのだが、それは次の機会に。
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