相子智恵
遁走の蜥蜴に重き尻尾あり 川口正博
句集『たぶの木』(ふらんす堂 2019.4)所収
「蜥蜴の尻尾切り」という慣用句がある。不祥事などが露見した時に、上の者が下の者に責任をかぶせて、追及から逃れることだ。今でもワイドショーなどで、この言葉を聞くことは少なくない。それほどまでに蜥蜴が尻尾を自ら切り捨てて逃げることはよく知られている。実際に見たことのある人はそう多くはないとは思うのだが。
掲句、〈重き尻尾あり〉は確かに外側から見た写生なのだけれど、その「重さ」を感じるのは、実際には尾をもつ蜥蜴だけだ。だから〈重き〉と言われたとたんに、私達は蜥蜴の心境に同化することになる。
いつ尻尾を差し出して敵の目をくらますか。それともこの尾を保ったまま逃げおおせるのか。遁走中の蜥蜴の逡巡が、自分のことのように思えてくる。実際の重さだけでなく、蜥蜴の心中に占める尻尾の重さは、今とても重い。
しかし実際のところ、自切する動物にとって、自切する部分はあらかじめ切り離すことを想定して、切り離しやすい構造にできているらしい。蜥蜴の尻尾は元々存在として「軽い」もので、もしかしたら、この蜥蜴にとって尾を切ることは、軽くたやすいことなのかもしれない。なんだか、現代日本の社会構造の縮図のようだが。
だから本当は、私達が同化したのは蜥蜴ではなく、尻尾の存在を〈重き〉と見た作者の心なのだ。自分の身の一部を切ることへの精神的な重さを描いた作者。その、命を見る目そのものの重さへの共感なのである。
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