2019年6月15日土曜日

●土曜日の読書〔薫る庭、深い皺〕小津夜景




小津夜景







薫る庭、深い皺

休息のために立ち寄ったブルーボトルコーヒーのテラス。アイスコーヒーとカフェラテを飲みながら、もうすこし散歩しようと話しあう。

大横川に出る。葉桜をくぐり、運河に沿って、石島橋をわたり、黒船橋をわたり、越中島橋をわたる。アスファルトの道路とはちがう、心地よい風が吹き抜ける。そして誰ともすれ違わない。なんだか自分の家の庭みたいだ。

「そういえば」
「うん」
「人間には誰しも、自分が野垂れ死ぬんじゃないかといった不安があるでしょう? 私もそうなのですけれど、あるとき野垂れ死にの恐怖というのは孤独や不幸の問題であって、路上それ自体とは無関係だってことに気づいたの」
「ほう」
「つまり、北国生まれのせいで、路上を屋内よりも悪いものだとずっと誤解してたんです。今は暖かいところに住んでいるから、死ぬときは外がいいって思う。仏陀みたいに」
「なるほど。実は僕も外で死にたいんだ。僕にとって一番幸福な死に方は、川沿いを自転車で走っている最中に心臓麻痺でころっと逝くことでね」
「へえ。いいですね」
「いいでしょ」

ベンチがあった。少し休む。その人は、鞄の中をさぐって煙草をとり出すと火をつけた。

緑にうずもれた庭。そのあわいを縫って、香りが呼吸する。
それは時に、なにげなく、空間の息ぬきとして、いたるところに姿を見せる。逆に言えば、私たちは、どんなところにも庭をつくらずにはいられないようだ(…)私が庭が大好きなのは、そこに仕掛けられた遊びの空間が、まなざしをはじめとする身体空間を楽しいいたずらでおどろかすからである。(海野弘『都市の庭、森の庭』新潮選書)
煙草の煙はしばらくのあいだ緑の底に籠もっていた。知らない花が揺れている。なんでしょうこれは。なんだろうね。まだもうすこし歩こうか。そう言って、煙草をしまい、指先をぬぐうその人のうつむく眉間には、初夏の緑の濃さに似つかわしい深い皺があった。


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