小津夜景
タヌキとササキさん
ササキさんはメーキャップアーティストから占い師まで60以上の職業を転々としたあと、いったいどういう伝手なのか某所の庭園を管理する財団法人の役付きに収まった、いかさま師っぽい人である。いつも同じ茶色のチョッキと灰色のズボンを身につけ、仕事を休むのはお正月だけ、あとはずっと庭をうろついているという生活で、もしいま生きていたら80歳を超えている。
「私がササキです。これから簡単な採用試験をします。第一問。はるのその、くれないにおう、もものはな。はい、このあとにはどんな言葉が続くでしょう?」
「したでるみちに、いでたつおとめ。……この職場にぴったりな試験内容ですね」
「いや、こんな質問をしたのはあんたが初めてだよ。僕は自分の勘を試すために、相手がかならず答えられる質問をしようと決めているんだ」
これが履歴書持参で面接にゆき、ササキさんとはじめて交わした会話である。このときから変な匂いはしてはいたけれど、働きだしてからもやはりササキさんは変な人で、なにより女性陣に気味悪がられていたのが、夏になると毎日セミのぬけがらをスーパーのレジ袋いっぱいに集めることだった。私も気になったので、ある日ササキさんと二人きりになったとき、なんのために毎日セミのぬけがらを集めているのですか、とたずねてみた。するとササキさんは、なに、タヌキのごはんさ、タヌキはセミのぬけがらがご馳走なんだと笑い、いきなり目を丸くして、そうだ、あんたをこの重要任務補佐にしよう、と言った。
次の日から、セミのぬけがらを竹箒でかきあつめてはレジ袋につめ、ササキさんに献上するという重要任務が始まった。ササキさんは庭の一角にある旧宮邸の前庭にタヌキたちがあそびにくると、セミのぬけがらを彼らの足元に撒き、また手ずから食べさせた。な。かわいいだろ。女性陣に唾棄されながらもセミのぬけがらを抱え、地面にしゃがんでタヌキをかわいがるササキさんとの時間が私は少しも嫌いじゃなかった。
とろこで森銑三の本に、江戸新橋に住んでいた占い師・成田狸庵(りあん)の逸話がある。狸庵はタヌキと遊ぶのが何より好きで、タヌキとの時間をつくるために20代で武士を辞めて新橋の易者になった。タヌキの看板を出し、夏はタヌキ柄の浴衣を着て、冬のタヌキの皮衣をはおり、床の間にタヌキの掛物をかけ、タヌキを膝元にはべらせてタヌキの今様を歌い、タヌキの百態を自在に描いては惜しげもなく人に与え、『狸説』という書物をものし、タヌキの出てくる夢日記をつけ、75年にわたる夢のような生涯を終えた。で、この狸庵が、タヌキの好物はダボハゼであると書いている。
狸庵の家の狸も、その後年が立つにつれて、また新しいのが加わったりして、多い時には六七匹いたことなどもあったのでした。そうなりますと食物の世話だけでも大変です。狸庵は自分で投網を持って、築地や、鉄砲洲や、深川などへ、狸の御馳走の魚を取りに行きましたが、狸はダボハゼが大好きなので、狸庵もそれだけを目当てとしまして、外の魚はどんなのが網にはいっても、それらは惜しげもなく棄ててしまって帰って来るのでした。(森銑三『増補 新橋の狸先生―私の近世畸人伝』岩波文庫)なんということだろう。ササキさんに教えてあげたい。人生経験豊富で物知りだったササキさんでも、この真実はいまだ知らないと思うのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿