2019年9月5日木曜日

●木曜日の談林〔正友・志計〕浅沼璞



浅沼璞







前回は遊女の痴話文(艶書)に関する付合を扱った。

恋文を書けば、それを届ける人が必要なわけで、遊女から客への橋渡しをする文使(ふみづかい)という職業があった。

で、おなじ『談林十百韻』の中から文使の付合をさがすとーー

 君が格子によるとなく鹿 正友(前句)
文使ひ山本さして野辺の秋 
志計(付句)
『談林十百韻』上(延宝3年・1675)

まずは前句。遊里の見世格子に客が近寄ると鹿が鳴くとは奇妙だが、鹿には鹿恋(かこい)女郎の意がかけられている。鹿恋とは太夫・天神に次ぐ廓のクラスで、鹿子位または囲とも書いた。ここは客取りの場面である。

そして付句。鹿の連想から、山麓めざして秋の野辺を急ぐ文使を詠んでいる。飛脚ほど遠くには行かないのだろうが、健脚のイメージだ。



ところで先日、サントリー美術館「遊びの流儀――遊楽図の系譜」という企画展に行った。

目あては『露殿物語絵巻』(1624年頃成立? 逸翁美術館蔵)で、あの名妓・吉野太夫が描かれている逸品だ。

京は島原遊廓の前身・六条三筋町の景が展示されており(折よく場面替があったらしい)、張見世の活気が伝わってくる。

わけても遊女見習の禿が文使をするようすが可憐で、吉野とともに印象に残った。

展示解説にも、禿の文使が散見される旨、書かれてあったが、おなじ「文使」とはいえ、掲句のような飛脚的イメージとはだいぶ違う。

廓内・廓外のエリア分けが、それなりになされていたのかもしれない。



そういえば『露殿物語』成立時(寛永初年)は貞門最盛期で、
 窓さきへ返事もて来る文使  親重
禿やすらふのりものゝかげ   仝
という付合が『犬子集』巻十一(恋)にみられる。

文使の禿が王朝的に描かれ、いかにも貞門っぽい。

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