2019年12月14日土曜日

●土曜日の読書〔自由をたずさえる〕小津夜景



小津夜景








自由をたずさえる

漢詩の翻訳にまつわることでひとつ興味深いのが、文人による翻訳でしばしば定型が好まれてきた現象だ。

彼らの翻訳は、音数を合わせるために、大筋をまねて細かい点をつくりかえた翻案であることが多い。この手法は、原詩との戯れの中にはっとするような駆け引きがあったりして、見ていてなかなか面白い。

ただ漢詩をわざわざ定型詩として翻訳するというのは、少し考えてみると奇妙である。というのも松浦友久が述べているように、漢詩は定型詩ではなく、明治になるまで日本で唯一の自由詩だったからだ。

歴史上、日本人が漢詩というとき、いつでもそれは「訓読漢詩」を意味してきた。つまり漢詩は、視覚的・観念的には定型でも、聴覚的・実際的には音数律に縛られないフリースタイルとして人々に受け入れられ、和歌や俳諧ではあらわすことのできない種類のリズムとして愛されてきたのである。

たとえば、日本での李賀の人気は、明らかに型破りの、自由詩的なパッションへの渇望に由来している。また日本でもっとも漢文が盛んだった時期は江戸末期から明治にかけてなのだけれど、頼山陽や夏目漱石みたいな人たちの漢詩のできばえも、たんに彼らの教養や文才にからめるのではなく、近代の夜明けの雰囲気や彼らの思索や情熱が、より自由自在な詩的音律を欲していたと思い描くと、視界がちがってくるかもしれない。

自由への渇望とともに、漢詩をたずさえること。ここで思い出すのが1970年代初め、李賀の詩集をバックパックにつめこんで日本を旅立ち、ユーラシア大陸を横断した沢木耕太郎の『深夜特急』だ。この本の終盤、ギリシアからイタリアまでを船で渡るくだりがある。蓄積された疲労の中で次第に何も感じなった「僕」は、長い旅の終わりを肌で感じながら、旅することの意味を自問自答しつづける。そして辿りついた大いなる空虚の中で、甲板から紺碧の地中海に黄金色の酒をそそぎ、一言、このように綴る。
飛光よ、飛光よ、汝に一杯の酒をすすめん。その時、僕もまた、過ぎ去っていく刻へ一杯の酒をすすめようとしていたのかもしれません。(沢木耕太郎『深夜特急5 トルコ・ギリシャ・地中海』新潮文庫)
李賀「苦昼短」の一節「飛光飛光 勧爾一杯酒」がここにある。で、もしも「苦昼短」をまるまる翻訳するとして、この力強いフレーズをわざわざ定型に押し込めるかと考えてみると、うーん、たぶん無理だ。論理と律動性においては漢文訓読体の遺産を継承しつつも、文体面においては定型を断ち切る自由な言葉を与えることの方が、わたしには面白そうである。





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