相子智恵
畳の上で死ぬため春の家探す 小川軽舟
「俳句」2020年3月号 特別作品50句「見つけたり」(角川文化振興財団 2020.2.25)所載
雑誌の発売日から言って、掲句を詠んだのは遅くとも今年の2月初頭以前だろう。そこから世界は大きく変わった。畳の上で(自分の家でという意味で)死ねないかもしれない事態が起き、その恐怖が世界中に渦巻いている。私自身、たかが2、3カ月前までの平穏が、遥か遠い昔のことのように思えて仕方がない。その後の世界となった今の時点から掲句を読むと、懐かしいような、複雑な気持ちになる。掲句は50句を締めくくる一句なのだが、そのひとつ前の句は
麗かや眠るも死ぬも眼鏡取る
という句で、やはりこれも、今読むと違う意味で重い。作品と社会との間には、こういうことが巡り合わせとして起きてしまうこともあるのだ。作者の代表句には
死ぬときは箸置くやうに草の花 (句集『呼鈴』2012年)
もあって、〈死ぬとき〉の風景を俳句上で形づくることは作者にとって息の長いテーマのひとつなのだろう。三句の方向性は近い。穏やかな日常の中の死。
こうした「死ぬとき俳句」には、今の心理状態では(いや、きっと平時であっても)実は、ちょっと乗れないところがあって、それは今の私が「生きねば、生かさねば」という人生のフェーズにいるからなのだろう。20年後に読んだら、また違う読後感なのだと思う。
しかし、穏やかな死の風景は、一つの祈りだ。それは穏やかな生を意味するのだから。一人でも多くの人が、穏やかな生を全うできるように祈りながら、行動する春である。
●
0 件のコメント:
コメントを投稿